神明社(しんめいしゃ)
御祭神
- 天照大御神を主祭神として外十八柱を奉斎
- 伊達政宗公(神号 武振彦命) 片倉小十郎景綱公(神号 奇敏鎌刈田彦命)も合祀されております。
例祭日
- 4月15日
- 10月16日
由緒
- 本社はもと福岡村長袋に御鎮座あり、上・下神明両社わかれ立つ。上神明社は、元禄14年松前の市正安広といえる人の造営勧請にかかり、後者は、大同2年(807、平安)坂上田村麻呂の創祀と伝えられ、又、藤原秀衡、蒲生氏郷、長尾景勝の臣甘糟備後など武将の崇敬が篤かったが、慶長5年7月伊達政宗が白石城を攻め落とし、その先陣の功により同7年この城地を片倉小十郎(伊達家臣鬼小十郎)に与えたので、亘理郡小堤村より移った。その際現宮司の先祖に当る佐藤源左衛門も扈従白石長町に居を与えられ、白石・長袋両神明社の神主に任命された。長町の屋敷内には神明社の御仮宮を建て4月16日の祭礼に神輿の旅所にあてた。爾来片倉家の尊崇最も篤く社領として二貫三百文、日供米月一俵を献じ、造営修復を怠らず、白石城の鎮守、領内の総鎮守と仰ぎ明治に及んだ。なお、この地方は古来しばしば戦乱の巷となったため社殿も古什物も悉く亡失して正確に記載をなし得ないことは遺憾である。明治10年10月再興して「神道事務局刈田地区支局」を境内に置くにあたり東京大教院より「造化の三神」の御霊代を奉迎配祀。同年村社に列した。同32年5月白石大火の際、社殿末社はじめ附属の建物悉く焼失したので、翌年5月現在の地(白石城二の丸跡)に本殿を、同39年に拝殿を造営した。現在の社殿はその後昭和10年10月に竣功したものである。明治42年から大正3年までに五つの神社を合祀し、昭和2年4月14日郷社に列せられた。
鎮座地
- 宮城県白石市益岡町1-17
- 電話:0224-25-1180
神職
- 宮司 佐藤武比古
- 禰宜 佐藤文比古